1990〜2001    <ゲン太君と釣り日和>
初めての海。
<わぁ〜い!海だぁ〜!>
初めての釣り
<俺は釣り用犬じゃない!>

<親父放してくれぇ〜!>
少年期のゲン太君
1990年7月生まれ
今でも心に残るイングリッシュセッターのゲン太君です。
<ゲン太君初めての海>ゲン太君
◇この写真は、多分92年の初夏頃にいわき市の浜辺で撮影したかと思います。

海を見たのは、是が最初で最後でした。車から出ると、嬉しそうに浜辺を飛び跳ねていたのが思い出されます。イングリッシュセッターは、鳥を狩る為に改良された犬種です。狩猟はしていませんでしたが、釣りに連れて行くのが似合っていたから。ところが、余りにも泳ぎが達者なので困り果ててしまいます。何故って、キャストする前に飛び込んでしまうから魚がトンズラしてしまいます。
<初めての釣行>
◇初めて釣りに連れて行ったのが、新潟県の渓流だった。
そこいらじゅう駆け回るもんだから、帰りの車の中が泥だらけで大変だった。
後部座席には、プラ衣装箱を置いてその中に。とにかくビショ濡れ状態だから仕方が無い。
最初は嫌がっていたが、慣れてくる内におとなしく入るようになっていた。

ゲン太君は、幼犬時代から車に弱くその対策に手を焼いていた。
ヨダレは雨の如しとめどなく流れる。そしてゲロを吐いてしまう。いつだったか、ゲロの中から靴下が出てきたぁ〜!
<初めてのキャンプ>
◇92年の夏。ゲン太君が始めて体験したキャンプだった。
大勢のフィッシャーマンに囲まれて、言う事も聞かずに大はしゃぎ。とにかく、じっとしていない。
ゲン太君は、オトコだったから凄い筋肉が付いていた。足なんか虎の足のように、骨太だった。

車の中で寝る時には、寝袋の上にドカンと横倒し状態だから重くてしょうがない。
ゲン太はヤキモチ焼きで、オンナ?と車で寝るようもんならド真ん中に居座りを続けて踏ん張っている。
私は小さい頃から犬が好きで、よく捨て犬を拾ってきては怒られたもんだ。
昔、家でポインターと言う狩猟犬を飼っていたが、この犬は解放するとマッシグラに突進する癖があり車と衝突。
ある犬は、病気で。そして行方不明犬も。
ボートだよ。
<初めてのボートだよ!>
カヌー初めて。
<カヌーは揺れるからキライだ>
中禅寺湖
<ダニだらけだよぉ〜!>
青年のゲン太君
1990年7月生まれ
イングリッシュセッター。ゲン太君の釣り日記。
<田子倉湖>
◇解禁当初の田子倉湖には良く連れて行くのだが、新緑期以降は連れて行くことは無かった。
何故なら、ダニが付いてしまうからです。知らないでいると、1ミリのダニが一週間で5ミリになってしまう。
是が又しつこくて、ペンチでないと絶対に取り除けません。
例え取ったとしても、ダニの牙が突き刺さったまま残りイボイボになってしまいます。

この日は、ボートに乗せて湖面を渡りました。
キャストをしている間は、森の中に入り込まないよう見張っていた。
因みに、トテモ釣りにはなりませんでした。

でも、この顔を見てください。利口そうでしょう?
親バカだって!そうなんです!可愛いくて仕方がありませんでした!!
<初めてのカヌーツーリング>
◇近くの沼に釣行!
お客さんと共に船首に乗ったけど、カヌーは揺れるもんだから落ち着きが無く動いてばかりいた。
今にも飛び込みそうだったけど、帰りまで何とか耐えていた。

カヌーに乗せたのは、是が最初で最後だったかもしれない。
私が行く所には、いつも着いていく。
と言うよりも、家には置いて行けない事が多かったからだ。
<93年中禅寺湖>
◇高速道路を突っ走り、栃木県日光の中禅寺湖に釣行。
早朝から湖岸帯を歩きながらルアーキャスティングをしていた。
私は釣りに夢中になり、ゲン太を好きに走り回らせていたのだが......
運よく60cm以上のレイクトラウトをゲットして帰路に付いた。

パーキングエリアで買い物をして、ふとゲン太の顔を見たらこげ茶色の怪しげな虫が無数に徘徊!!
何と何と。数十匹のダニがうじゃうじゃ。是には参りました!取っても取っても、ウヨウヨ沸いてきましたよ!
スイミング
<早春の湖水は冷たい!>
ゲン太地蔵
<石の上で釣況観察>
キャンプ
<河原のキャンプだよ!>
青年のゲン太君
1990年7月生まれ
湖そして本流を泳ぎまくる。ゲン太君の釣り日記。
<ゲン太の泳ぎは凄かった>
◇どんな急流でも、ちゅうちょも無く飛び込んでいく。
早春の田子倉湖に、サクラマスを求めて釣に行くのだがいつも一緒だ。
急なガレ場(岩崩れの急斜面)をモノともせず歩き回り、湖面にダイブする。
ワカサギが岸辺を回遊しているので、是が逃げてしまうのだ。
詰まり、これらを追っているサクラマスは釣れません!
最後には、湖畔でケンカです!!
<石の上のゲン太君>
本流釣行は、スーパーヤマメの人気と共に毎週通い詰めていた。
VTRを収録したのは1992年だったから、ゲン太は3歳の若者だった。
河原に出ると、最初は河原の水鳥を追いまくっているが、やがてくたびれて私の後を追いかけてくる。
後ろで見ていたり、先回りしていつもの石の上で待つ事もある。

私がしている事は全てお見通しで、動きによって渡河なのかキャストなのかを判断する。
ヒットすると必ず寄ってくる。でも、魚には噛み付かなかった。
<キャンプにも連れて行く>
雑誌に掲載する写真撮影が多かったので、ゲン太はすごく役に立っていた。
イングリッシュセッターは、顔つきが精悍でも少し臆病でもある。怒られると、ビビッて動かなくなる。
私と寝起きを共にして食事も一緒だったから、言葉は発しなくても通じるものがあった。

得意技は、いつ覚えたのか反省ポーズ!
何かして欲しい時には、前足を私の膝の上に乗っけてモノ惜しそうに覗き込む。
そんな仕草が大好きだった。
本流釣り。
<水鳥はどこだぁ〜!>
おめかし中
<おめかしだよ!>
田子倉湖<田子倉湖>
青年のゲン太君
1990年7月生まれ
イングリッシュセッター。ゲン太君の釣り日記。
<鳥追いゲン太>
◇狩猟犬の習性で、鳥を見つけると一目散で追いまくっていた。
でも、私が移動すると直ぐに追いかけてくる。着かず離れず、其れなりに見張っているのだ。
流れの中でキャストすると、ゲン太も流れの中に立ちこんでくる。
私は、ゲン太に話し掛けながらキャストする。格好の話し相手なのだ。
時には、釣れない時間が長くなると怒り散らしますけどね!!
<ゲン太はいい男>
ゲン太君は、オス犬ながら知的な顔つきだった。人のやることは何でも御存知。
特に芸達者で、オンナのお客さんが来ると必ずスカートの中に頭を突っ込む癖がありました。
慣れたお客さんは、飼い主ソックリだよゲン太君は。とお小言を言われたり、そんなに見たいならどうぞ!
とばかりに、首を押さえつけて股間に押さえ込む強い女性もいましたっけ。
そんなゲン太が忘れられません。
同じ日々は戻っては来ないけど、もう一度あの日を振り返りたい。
<山上湖のゲン太君>
何十回と無く通った田子倉湖。
福島県只見町にある田子倉湖は、豪雪地帯のため解禁当初は車が通れない。
車を止めてから、約一時間かけてダムサイトまで登ります。残雪地帯を我先にと登るゲン太くん。
湖面に降りるには、減水している危険なガレ場を一歩ずつ100m程降る。
ゲン太は一分と掛からないが、私は20分ぐらいかかり湖岸に到達。
慣れない内は、ゲン太もヒンヒン鼻を鳴らしていたけど、直ぐにドブンとなりました。
おやつ
<おやつだよ!>
ハイポーズ
<釣りのお供>
お店番
<お店番>
熟年期のゲン太君
1990年7月生まれ
イングリッシュセッター。ゲン太君の釣り日記。
<おやつの時間>
◇釣行は、早朝が勝負なので前の晩から出かけます。
コンビニで、パンとおにぎり。そしてゲンのおやつにコンビーフ缶を3個調達。
釣り場は、約1地時間前後で次のポイントに移動しますからその間がおやつ時だ。
私が喰う者なら、何でも欲しがりましたからねェ〜。ほんとはいけないのだろうけど。
<釣りの合間>
長時間同じ場所で、粘ってキャストしている時がある。
そんな時のゲン太は、後方で斜面を平に整地して寝そべって待つ。凄く忠実です!
いつも黙ってみているけど、私の表情を読み取っているのか、いつも私の心と動きを同じくする。
オトコなんだけど、目が凄くやさしいんです。そんなゲン太が好きだった。

この写真は、私のお気に入り。
カメラを向けると、必ずレンズに目線を送ります。
<お店番>
私と共に、お店にいたのが約7年ぐらいかな。
それ以後も、死ぬ直前まで毎日お店に出勤していました。
と言うよりも、小さい頃からお店に連れて行っていたので、住まいの方では落ち着きが無かった。
シャンプーもしていたし、いつも撫ぜていたから毛艶はテカテカです。
この写真は私のイスですが、一番のお気に入りの場所だった。
息子に怒られると、真っ先に私の後ろに捻じ込んでくる。
その狭い空間が、安全帯だったのだ。
ふてくされ
<不機嫌なんだよ。>
疲れたよぉ
<やっと逢えたね>
天国で待つ。
<親父天国で待つ>
老年期のゲン太君
1990年7月生まれ
イングリッシュセッター。ゲン太君の釣り日記。
<1996年頃>
この時期から、ゲン太と離れることが多くなってきた。
商売から離れて、別の仕事をしていたからだ。その内に山小屋に寝泊りする事が多くなった。
ゲン太は、私がお店をしていた時と同じく息子が営業するお店に通っていた。
長年私と一緒にいたために、息子とは言え居ずらかっただろうと思う。
可哀想だったけど、止むを得ない事情もありました。ゴメンな。ゲン太君。
<2001年秋>最後の釣行ゲン太君
この頃のゲン太は、具合が悪く病院通いが多くなってきた。
私は、借金返済のためゲンタを家に残して離れて暮らしていた。その頃が一番心残りだった。
この写真は、2001年の10月頃に私のところに連れてきたときのもの。毛並みも荒れている。
この時期、ゲン太が亡くなった時のショックを和らげようと、同じ種類のオス犬を育て始めていた。
後に、この犬がトンでもない凶暴犬になってしまったけど....。

寂しそうな素振りのゲン太君。
天国で待っていてくれ、ゲン太君。近い内に逢いに行くからね。
<2002年2月>
ゲン太と過ごした11年7ヶ月は、私にとっては最高の幸せの日々でした。
90年初期頃は、私も絶頂期で何もかも思い通りに運んでいました。
97年前後は、ゲン太君も中年。私は商売から離れて自分の夢であった山暮らしを始めた。
それから5年後の現状は、世の中もすっかりと様変わりして貧乏人ばかり。
その中でも、私は一番の貧乏人だった。山暮らしも資金不足で四苦八苦。
バブル期に相続した税金は、何と7,500万円以上と巨大化した。
そして、とうとう悲しみの2002年2月15日がやってきた。
病院に入院していたが、病状が急変。病院で死なす訳には行かないので、直ぐに家に連れ帰った。
その時には、意識も薄れていたがゲン太は承知していたと思う。それから、数時間後亡くなった。
一晩一緒に付き添いながら、想い出を振り返りました。
今は、育った家の庭にお墓があります。